エピローグに代えて(本書 「よき母親は百人の母親にまさる」から)
「わかってる先生」は、自分の書いた母親向けの著書にサインを頼まれると、よく、
「よき母親は百人の教師にまさる」
と書く。子供を育てるのは学校の先生ばかりではない。学校は知識を、親は知恵を――これは先生の持論だ。知識は時代により、ときによって変化する。昨日までよいこととされていたことが明日になると悪いことだといわれることもある。例えば、昔は「ご飯を食べてすぐ横になると牛になる」といって、いけないこととされていた。ところが今では「食べた後は少しゆっくり休息するのがよい」といわれている。
このように、常識が非常識とされることはいくらでもあるが、人の持つ知恵は過去から未来へ向けて不変だという。これも先生の持論だ。親には先祖から受け継いだ親の知恵がある。知識を授けること、知識教育が学校というものの持つ役割であり、限界なのだ。としたならば、親が先生に代わって知識を授けるのでなく、知識を授ける先生を適切に援助するのが親だという。それこそが適切なわが子への援助につながるともいう。まさしくこれこそが学校に子供を通わせる親の知恵であると思う。先生は「適切な援助」ということばを使うが、親の役割と言い換えてもいいのだろう。この投書にある実践こそ、その役割を果たしているといっていいだろう。
この投書を読んで、改めて「わかってる先生」のよく使うサインのことば、
「よき母親は百人の教師にまさる」
を思いだし、その意味の深さがわかったように感じた。ステキなことばだし、この投書の主もステキな親だなあと、夢子さんはしみじみ思った。そして、二枚の切り抜きを自分用として、そっとコピーしてリファィルに挟んだ。
最後までお読みいただいたあなた、いかがでしたか?
「わかってる研究所」の仲間入りしたくなったでしょう。漢字や日本語だけでなく、教育に関しても含蓄の深い「わかってる先生」のお話を、是非一度、聞きにいらっしゃい。
夢子さんが、おいしいコーヒーをいれて、迎えてくれることでしょう。
一度訪れたら、きっと病みつきになりますよ。
だって、わたしが、そうですから……