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世の中は今「投稿ブーム」だ。書店に行くと投稿募集の雑誌はあるし、インターネットをのぞくと投稿募集が何十件と出てくる。たとえば「死語になった流行語の投稿募集」、「絵、絵本、詩、童話、写真、エッセイ等の投稿募集」、「人生相談の投稿募集」、「愛車紹介の投稿募集」、「コンサートの感想、投稿募集」「テレビ東京のうわさの投稿募集」……それはそれは、「こんなテーマまで募集しているのか」と思うほどである。毎日配達される新聞の朝刊には必ず読者の投稿文があり、常時投稿を募集している。
E先生は、秋間さんの乱入で「作文講義」をする羽目になった。しかし、この研究所に通ってくるママさん連中は、みんな勉強熱心な人ばかりだ。動機はわが子のためであれ、人間、いくつになっても向上心を持つのはすばらしいことだと思う。よく、生涯教育というが、こんな身近なところに、学びのチャンスは幾らでもあるのだ。
いつだったか、E先生がそのことをいったら、ママさん連中は「先生の教え方が分かり易くて上手だから……」といった。お世辞だと知っていても、やはり、先生としても、そういわれるとうれしいらしい。でも、ほんとうは、お母さん方に渡す資料を作ったり、プリントしたり、どんなふうに教えていったらよいかなど、夢子さんの意見や労力を含め、彼女の力に依るところが大きい。
今回の講義は、おそらく、秋間さんだけでなく、多くの人がそうであろうと思うが、文章を作るのは苦手だという人のための『お助け講座』といってもよいであろう。
〈この程度のことを知っていて、この程度のことをすれば文章が書ける〉
ということを述べたわけである。
文章上達の筋道は、長く険しいものがある。本当のところ、E先生自身も「これでよし」とは思っていないであろう。この講座も、ホンの「文章を書きました」という程度のものでしかない。しかし、文章を書くということは、この段階までが大変なのであって、ここまでの訓練を積み重ねればあとはどんどん上達していくものである。
今回の講座は、子どもに教える前に自分が作文の書き方を身につけ、投稿などしてお小遣い稼ぎをしながら「コツ」を身につけようという趣旨だった。したがって、E先生は、どういう手順で頭を働かせ、どういう手順で自分のいいたいことを言い表すか、ということに重点を置いて、講義した。「この手順に従って、作業を進めれば文章が書ける」というところに、この講座の強みがあると思う。
E研究所に通うママさん連中ばかりでなく、あなたもご自分で、試してみてほしい。
ただ、読んだ人がうなるような、いわゆる名文というものを書くのは一筋縄ではいかない。また、物書きでない我々はそんな名文を書く必要もない。しかし、自分の書いたものが人をうならせるようなものになっているかどうかは、その書かれた事柄の中味であり、自分の考えがきちんとした日本語の書き方の決まりにしたがって書かれ、だれにもわかるように表現れされているかどうかである。いくら美辞麗句を並べても、それはいい文章とはいわない。
問題は、自分のもののみかた・感じ方・考え方を磨くことであり、それには、ふだんの生活のなかで、人の話に耳を傾けたり、たくさん、本や新聞を読んだり、社会に目を向けたり、政治にも関心を持ったり……そうした日常の積み重ねが大事だと思う。そうして、今までなんとなく素通りしていた社会現象その他、諸々のことに興味や関心を抱くことが大事だと思う。
興味や関心を持ったら、自分はそのことについてどう考えるか、自分の意見はどうかと考えてもらいたい。そして本書の手順にしたがって、文章づくりを試みてもらいたい。せっかく書いたら、そのままにするのでなく、あなたの街のタウン誌でもよし、市や区や町村の広報誌でもよし、朝日や毎日・読売、サンケイ、東京はじめ地方紙、そのほかたくさんの大小新聞社があなたの投稿を歓迎してくれる。そうしたメディアに投稿して、あなたの考え、主張を発表してもらいたい。
何回か投稿するうちに採用されるに違いない。採用されたら、今までの採用されなかった作品は、どこが悪くて採用されなかったのか、調べてみてもらいたい。ねらいが悪いか、文がねじれていて、読むに耐えるものでなかったのか、はたまた、自分自身の主張が目新しいものでなかったか、あるいはすでに、だれかの意見として採用されていたのではないか……等、いろいろな原因が見つかると思う。実はそれが勉強であり、投稿文作成のコツの勉強でもある。
あなたの文章が何度か取り上げられるころには、また、一度も取り上げられなかったとしても、それはそれなりに損はない。そのときには、あなたは文章以上に今までのあなた自身と変わっていると思う。数段も女性として輝いた人になっていて、幅広い人間になっていることだと思う。これから先の人生が、驚くほど開けてくることだと思う。そうなれれば、初期の目的、作文のコツどころか、新しい人生を切り開いたことになる。あなたの持つ人間としての幅がどれだけ広がるか知れないのである。わたしはそのことを期待したい。