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物書き商売というのは、どうしてこんなにも悩みが多いのだろうか。物を書くには、いろいろなことを調べ、時には現地にも赴く。そして拾い集めた事柄の中から材料を選び、どう並べればいいか、どう書き出せばいいか、書き始めるまでの仕事がたくさんある。そこまでの段階で、ものによっては「これはだめだ」とボツにしてしまうものも数多くある。また、書きたいと思っても書いてはいけないこともある。楽しく筆が進んで「うん、うまくいった!」と微笑んで終えることができればいいのだが、どうも、そういうわけにはいかない。
わたしは三宅島から帰って、一つの小さな漁港の風景が頭を離れないでいた。三宅島には大久保港、三池港、坪田港という三つの港と、阿古漁港、湯の浜漁港、伊ヶ谷漁港、大久保漁港といったような漁港がある。
そのうち、三池港、阿古漁港は四千トン級の船舶が接岸することができる。かなり整備された港である。近年は海洋レジャーブームを反映し、ヨット、クルーザー等プレジャーボートの漁港利用が増加しており、漁港本来の漁船利用と、これらの船舶利用との競合問題まで生じているほどだという。
三宅島の海岸線は美しい。四角形をした珍しいランプ式灯台を持つ伊豆岬、黒潮の荒波が作ったという自然の大きな穴が開いた岩の見える今崎海岸、さらには夕景浜、錆が浜、大船戸、大久保浜などの海水浴場、いずれも、わたしにとっては魅力たっぷりの島であった。
そうした魅力の中で、わたしがとても気に入った小さな漁港があった。わたしは、なんとかして、その小さな漁港のことを小次郎話の中に取りいれたいと思った。しかし、小次郎の話の中に、それを入れるスペースはなかった。三宅島での取材による収穫が大きかったわたしは、案外あっさりとその話を挿入することを断念することができた。
しかし、わたしには小次郎の話を書き終えて、心残りが一つあった。それは義兄弟の契りを結んだ新門辰五郎と小次郎とのふれあいである。二人の関係をもっともっとこの話の中に取り入れたかった。しかし、この話に取り入れるについては、調査が十分できていない。二人の関係を縷々と書くには資料が不足なのである。
小次郎は新門が亡くなった六年後、跡を追うようにして逝ってしまった。何とかして、二人を再会させてやりたい。もし、小次郎が生まれ変わるとしたら、どんな生まれ変わり方をしたらいいだろうか、自分だったらどんなふうに生まれかわらせるだろうか。
今度は男同士でなく、女に生まれるのがいいなあ――人の命は生き変わり生まれ変わりしながら続いていくという。そう考えると、また、いろいろと夢が膨らんでくるのだった。
小金井小次郎の碑/撮影・下村昇